【建物散歩】兜町・日証館ビル

リノベーション

渋沢栄一の住まいは以前ここでも紹介したように、深谷(血洗島)、後年の深川や飛鳥山にもありましたが、明治6(1873)年から9年まで、今の証券取引所のすぐ隣に住んでいたのです。そこに今は「日証館ビル」が建っています。

 日証館ビル

 

現代の東京証券取引所。向かって右側の道路の突き当りに斜めに姿を見せているのが「日証館ビル」【地図のA点】。手前の道を右に進むと「鎧橋」。

明治5年、渋沢はすぐ南側100mほどの地【地図のC点】に建てられつつあった三井の建物を譲り受けて第一国立銀行を開きました。

渋沢の家も、第一国立銀行も、幕末までは丹後田辺藩牧野河内守の上屋敷内でした。そのすぐ脇には「鎧の渡し」が通っていました。

さらに明治11年に、彼と三井家が政府に願い出て、兜町【AとCの間】に東京株式取引所が設けられます。・・・日本初の株式会社としての銀行設立。その激務の中ですぐ近くに住まうことになったのか。渋沢の家の隣に取引所を作ったのか。などと先走って考えていました。

調べを進めてみると、なんと明治初年にはすでに兜町の地主は旧大名ではなく、三井八郎右衛門、三野村利左衛門(大河ドラマではイッセー尾形さんが怪演!していましたね)、小野組など、大商人たちの名が出てきました。

 

彼らは金を出し合い、渡し船が通う川面に自分たちで橋を架けてしまいました。これが現在の鎧橋です。つまり、最初から「ビジネスセンター」構想のもとに、インフラ整備まで進めていた、ということになります。その一角に、当時30歳代の前半だった栄一の住まいはあったのです。まさにビジネスの中心!

当時の住居表示は「東京第一大区拾五小区海運橋兜町2番地」。味もなにもありませんが(笑)・・・ここに千代も歌子も、生まれたばかりの篤二も住んでいたのでしょうか。

 

  

第一国立銀行の「第一」は、現在のみずほ銀行の銀行コード001に引き継がれていますし、開運橋東詰めのこの地は、みずほ銀行兜町支店として生きています。

さまざまな株式会社の設立という形で日本の経済社会に近代資本主義を埋め込んだ渋沢栄一ですが、渋沢自身は、「資本主義」とは言わず「合本主義」と言っていました。

資本主義は、労働と資本を材料として資本家が利潤を追求する「欲望」を主な原動力とする狭いものですが、「合本主義」は「公益」の追求を使命や目的としているのが大きな、根本的な違いです。
大河ドラマでも「渋沢栄一vs.岩崎弥太郎」という図式で、海運業を中心に近代のロジスティクス発展を描く場面がありましたが、栄一と弥太郎では、公益か利潤か、協同か専制か、いずれを経営の根本に置くかという考え方で、大きな違いがあったように感じました。
現代の企業体がSDGSを理念の柱に置くのは、公益に回帰していると言えますね。

話を元に戻します。
渋沢は明治22年に再びこの地【地図のA点】に居を構えます。ベネチアン・ゴシック様式と言われる美しい建物は日本橋川に映り、錦絵に描かれるなど名所になりました。

この錦絵は日本銀行(貨幣博物館)蔵。(ちなみに第4代日銀総裁は岩崎弥太郎、くだって第16代総裁は渋沢敬三。栄一の孫です。芸者とのスキャンダルで廃嫡された父 篤二に代わり、好きな生物学をあきらめて実業の道に転換した人が、後に日銀総裁や大蔵大臣を歴任するのです。)

この絵の中央が渋沢邸。右奥には第一国立銀行の尖塔も見えます。渋沢邸の設計は辰野金吾。そう。東京駅のレンガ駅舎を設計したまさにその人物です。建設は第一国立銀行を日本人だけの手で建てた清水組。二代目清水喜助は渋沢に深く信頼され、渋沢もまた清水組が近代的な建設企業に脱皮していく道筋を相談役として長年支えた、そんな関係です。しかし残念ながらこの渋沢邸も関東大震災で焼けてしまいました。

その跡地に昭和3年に建てられ、現在も現役のオフィスビルであり続けているのが「日証館ビル」です。設計は横河工務所、建設は清水組。
昼見ても、夜見ても、中を見ても、外から見ても、美しい建物です。

大理石の柱や階段。漆喰を用いた装飾が重厚な折り上げ天井。繊細な照明器具。

 

 

裏手はすぐ日本橋川。現在の首都高・江戸橋ジャンクションの真下になります。ここではこの建物を一目見ようとよそ見をしてはいけません。まず事故ります。

美しい建物だと紹介しましたが、それは私が歳をとり、建物はしっかりリノベーションされているからそう思えるのでしょう。実は私は子ども時代にこの近くに住んでおり、看板だらけの汚いビルとしか思ってませんでした(笑)、ごめんなさい。

 右が昔の日証館ビル

 

さて、隣接して「兜神社」があります。もともとこの地には、平将門の兜を埋めたとか、源義家だか頼義だかが鎧兜を奉じて戦勝祈願したとかの伝説めいた話があります。しかし神社銘板には、創建の由来が次のように明確に記されています。

「明治11年ここ兜町に東京株式取引所が設けられるにあたり同年5月関係者一同の信仰の象徴および鎮守として兜神社を造営した」

もちろん「一同」の中には渋沢栄一も入っていたのでしょう。

 

それにしても、水盤の「兜」の文字が火星人のキャラクターみたいで、なんともカワイイ。

 

〔日証館ビルの所在地:東京都中央区日本橋兜町1−10〕

リノベーションヴィンテージ

たけぞーです。建築好き、写真好きです。
このブログも、両方の要素がクロスすればいいな、と立ち上げました。
たけぞー(takezo)が街を歩きまわるから"take-a-walk"なのです。
現在はビル設備管理の仕事をしつつ、家族が営む不動産事業をサポートしています。

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