【建物散歩】俣野別邸 〔横浜市〕

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横浜・戸塚駅からバスで約30分。横浜と藤沢の市境にあたる俣野という土地にこの建物は建っています。あたりは横浜市の風致公園で、晴天時には丹沢山系や富士山を望むことができます。

横浜市風致公園「俣野別邸庭園」

俣野別邸は、境川の東側の高低差の大きい河岸段丘の上に、1939年(昭和14年)竣工。当時の住友家当主であった16代住友吉左衞門友成が建てさせました。

設計者は日光プリンスホテル(栃木県日光市)などを手掛けた佐藤秀三(1897~1978)。佐藤は秋田県出身。建築を学び、住友総本店営繕課に入社。独立後、住友家の那須別邸(1937築) 、渋沢信雄邸(1938年築)を経て、この俣野別邸を生み出しました。

居間や書斎、寝室などのある「母屋棟」、「子供室棟」、台所や使用人部屋などのある「サービス棟」の3棟で構成されています。

丘を昇っていくと母屋棟北側の車寄せが見えてきます。二階から一階の玄関まで一とつなぎに日本瓦を葺き下した屋根の量感に圧倒されます。その軒を石積み風の柱で支えたとても印象的なお出迎え。玄関外壁にはレリーフ。内側にはステンドグラスが配されています。

内部は光がよく入る明るいホールで、高い天井から2階の廊下にかけて、こげ茶色のステイン塗の梁が露出しています。

ホール2階から玄関からの入り口を見下ろす

 

北欧の伝統的な建築様式(「ハーフティンバー・スタイル」というそうです)を取り入れつつも多少抑え気味の意匠。玄関及び応接室の床は栗の木のブロックを敷き詰めたり、別の部屋では板石を敷いたりと内装材も変化に富んでいます。

和・洋の調和、伝統的建築と現代建築の融合を指向した昭和初期のモダニズムの影響を受けた建物と言えます。

1階ではダイニングや子供棟が芝生の広大な庭に面した大きなガラス張りで、いずれもよく南からの光が入る開放的な空間です。ホールの階段を上がり二階西南側は、特徴的な曲面のガラス張りの展望室(サンルーム)。ここから丹沢や富士山を眺めていると、豊かな緑の丘の上に住友の当主が美しい建物を建てさせた理由や、建物復元への人々の熱意が感じられてきます。

 

  

1998年頃まで住友の縁者が暮らし、2000年に相続税物納により国所有へ。昭和初期の郊外邸宅としての歴史的価値から2004年7月に重要文化財に指定。ところが修復工事が進められていた2009年3月15日午前5時ごろに出火、母屋約659㎡を全焼してしまったのです。

当時、神奈川県では2007年5月と2008年1月に藤沢の旧モーガン邸、同年3月には俣野別邸と大磯の旧吉田茂邸が出火・全焼。いずれも放火と見られていますが未解決です。歴史建造物に狙いを定めたともいえる、心がつぶれるような事件ですが、いずれも再建に向けた動きが止まらなかったのはうれしいことです。

元の建物は焼失したので重要文化財指定は解除されましたが、その後横浜市によって、別の場所に保管してあった解体部材を活かしながら創建時の設計図にほぼ忠実な再建工事が3年がかりで行われ、2017年2月には「横浜市認定歴史的建造物」に指定。同年一般公開となった経過があります。

ダイニングの天井板はこの建物の寄贈者自身が保管していましたが、焼失を受けてこれも使ってくれと寄付してくれたそうです。また駕籠編みの照明器具も別保管で焼失を免れたものです。

現在、ダイニングを含む邸内はカフェエリア、貸スペースとしても使われ、ミニコンサートが開かれることがあるそうです。贅沢な環境ですね。

 

訪れたのは初冬でしたが、燦燦と差し込む陽光。目の前に広がる広大な芝生の庭を愉しみながら、おいしいケーキセットをいただきました。

〔所在:横浜市戸塚区東俣野町80-1 俣野別邸庭園内〕JR・市営地下鉄戸塚駅からバスで約25分の「鉄砲宿」バス停から徒歩5分。また台数は多くないが駐車場もありました。

*ほぼ同時期に焼失した旧吉田邸は、地元の大磯町や神奈川県によって一部を除き焼失前の形に2017年に(大磯町郷土資料館別館として)再建されました。また旧モーガン邸の再建に向けた動きはめどがついてきた(2021年現在の情報)とのこと。これらはまた別の機会に語ることにしましょう。

ヴィンテージ建物散歩眺望

たけぞーです。建築好き、写真好きです。
このブログも、両方の要素がクロスすればいいな、と立ち上げました。
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現在はビル設備管理の仕事をしつつ、家族が営む不動産事業をサポートしています。

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