未来が見えてくる橋【東京・常盤橋】

常盤橋 リノベーション
修復が終わった常盤橋

「こんばんは、徳川家康です!」ですっかりおなじみになった(笑)家康が征夷大将軍に任じられ幕府をたてたのは1603年(慶長8年)でした。同時に江戸城の大改造と街づくりがスタートし、いわゆる江戸時代が始まります。
それより前から兵糧としての「塩」確保のため、今のTDLに近い行徳の塩田から江戸城まで最短距離で通じる水路(今の小名木川・日本橋川)を開削していました。これに江戸城北部から南の日比谷入江へ注ぐ川筋と交差させ、城や町を拡げるための物資・人員・食料などの輸送路として、水路を切り開いていきました。
常盤橋は、その巨大ロジスティクスの「交差点」にあります。古い地形上からも河口の湿地帯中の微高地で、北東(奥州道)につながる交通の要路だったことがうかがわれます。

「常盤」は常緑樹の松を表し徳川の元の名「松平」の象徴でしょうか。城郭内部が整うまでは、この常盤橋御門が、実質上の江戸城大手門であったと考えられます。今も残る大きな石垣の上に櫓門が築造されて枡形となり、出口の高麗門の前に橋が架かります。
同様の形式で、日比谷・数寄屋・鍜冶橋・呉服橋・常盤橋・神田橋・雉子橋の各外郭門が1629年(寛永6)に完成し、江戸城の外側が固められました。

http://www.viva-edo.com/edojoukaku.html 「ビバ!江戸」より

その後、1657年(明暦3年)明暦の大火を含め、何回も修復を繰り返し、明治の初めまで木の橋が架かっていました。

明治4年の常盤橋門

1877年(明治10)に別の門が壊されることになり、その石垣の石材を転用して西洋風の意匠を凝らした美しい石橋として生まれ変わりました。明治の世に石の橋が次々と架けられ、江戸の往時の佇まいを衝撃的に変えていった、というのがとてもよくわかります。

1964年の東京オリンピックに向けて、常盤橋、日本橋を含む江戸城掘割の多くが首都高速道路の道筋になり「蓋」をされました。物流の主体が劇的かつ完全に水運から切り替わった象徴的な出来事ともいえます。そして約50年が経過します。

2011年、東日本大震災によりアーチ部分の石組みが歪み落橋の危険が出て通行止め。以来ずっと震災復興の一部として修復工事を続けてきました。

これは工事中に隣の橋から撮ったものですが、橋の石材を一つ一つ取り除き、形を整え、一部は差し替えて、もう一度積み直すという手間のかかる作業のようでした。数年間いつ行っても工事中で、そのうちすっかり忘れていました。ふと思い出して、立ち寄ってみたら・・・見事な姿を見ることができました。まだ橋の反対側が工事中のようで通ることはできませんが、日の光に輝いていました。八角形の親柱は大理石。欄干には、唐草の意匠が施された鋳鉄の手摺が取り付けてあります。

明治時代の写真や錦絵と比べてみてください。往時の姿そのままに復元されているのがわかります。

明治10年ごろの常盤橋

橋の向こう側の門跡地は公園として再整備するようで、まだ重機がうごめいていました。
実はそのエリアは、都心部で最も新しい再開発の現場なのでした。三菱地所や三越伊勢丹グループが主導する「東京駅前 常盤橋プロジェクト」といいます。

中心となるのは「Torch Tower」。地上63階、高さ約390mで、当面は日本で最も高いビルとなるようです。

コロナ禍でオフィス需要が低下する中で、どのように展開するか多少不安もありますが、未来に向けた新しい町づくりであることは間違いありません。

いくつかの完成予想図の中には、水路上の高速道路が「描かれていない」か「点線で描かれている」ものもあり、親水空間の整備という文言もあることから、もしかすると地下化の計画もあったはずと思って探したら、確かにこちらも始動していました。
間もなく(2021年5月から)近くの出入口が封鎖されるようですね。

START!新しい道へ!日本橋へ! | 首都高速道路日本橋区間地下化事業
この国の道の起点である「日本橋エリア」からはじまる、安全・安心な未来の道へ。景観形成・都市再生をになう持続可能な交通インフラへのリニューアル。

歳がばれますが、私は日本橋の上に何もなかった時のことをうっすら覚えています。日本橋やこの常盤橋の上から青空を仰ぎ見れる時が間もなく(といってもあと20年! 生きていられるかどうか(笑))やってくるのは感慨深いものがあります。

橋の向こう側、工事中の常盤橋公園には、あの渋沢栄一の銅像が建っています。

橋のこちら側には日本銀行。江戸時代の金座の跡です。その先には三越本店と三井本館。この道は江戸の大店である三井越後屋を中心に浮世絵にも描かれていました。

 

 

渋沢たちが西洋から日本に移植した本格的な資本主義は、渋沢が念じた社会全体の資本としての原点から外れ、コロナ禍と重なってガタが目立ち始めているものの、この橋は、今もまた、未来への街づくり社会づくりを先導しようとしています。

ここは、そういう歴史的めぐり合わせの地、経済と社会の交差点なのかもしれません。この橋の向こうに、この道の先に、また新たな未来が見えてくるのでしょうか。

(「常盤橋」は、中央区日本橋本石町と東京都千代田区大手町との間の日本橋川に架かる)

リノベーションヴィンテージ

たけぞーです。建築好き、写真好きです。
このブログも、両方の要素がクロスすればいいな、と立ち上げました。
たけぞー(takezo)が街を歩きまわるから"take-a-walk"なのです。
現在はビル設備管理の仕事をしつつ、家族が営む不動産事業をサポートしています。

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