海の上の鉄路【高輪築堤】

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先の記事を受けてブログで書こうと思っていたら、先を越された、というか・・・(笑)
つい先日、2021年2月16日、文部科学大臣が「高輪築堤」を視察した、という報道がありました。

読売新聞 記事 https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210217-OYT1T50083/

前回のブログ投稿で、明治に作られた「日本初の鉄道高架橋」について紹介しました。
「日本初の鉄道線路」とは全く別のものだとおことわりしたのですが、まさにその(汽笛一声!)新橋から横浜までの線路の一部遺構「築堤」が、つい最近、土中から発見されたのです。
山手線でもっとも新しい「高輪ゲートウェイ駅」のすぐ近くです。

  

日本最初の鉄道線路は、いまの田町駅前にあたる旧薩摩藩「蔵屋敷」(西郷と勝が無血開城の会見をした場所)、「下屋敷」(現在の品川駅前 京急EXホテルのあたり)を避けるルートになったようです。
政府要人・軍人である薩摩出身者から反対が多かったとの説もあります。鉄道建設の責任者だった大隈重信が、「ならば陸地ではなく、東海道沿いの海の中を通してしまえ」と、浅瀬の海岸沿いに堤を築くことにして、その上に線路を敷きました。
眺望が良く、桜で名高い庶民の行楽地である「品川御殿山」は、台場の埋め立てに続き、鉄道築堤のためにも「土砂」を供給し続けたため、小高い山は削られてしまいました。

今、御殿山トラストタワーやマリオットホテルの南側の公園に窪地や池が多いのは、土取り場の名残りと思われます。下の錦絵には土がむき出しになった様子まで描かれています。

左端の橋は「八ツ山橋」。橋の幅は広がったけれど、道は東海道、下は鉄道線路なのは今も同じです。

海の中を走る鉄道。たくさんの絵が残っています。遠浅の海には、今は高層ビルが立ち並んでいます。

八ツ山橋付近から見下ろした品川駅。すぐ脇まで海が迫り、今の江ノ電よりよっぽどシーサイドですね。

明治初期の地図で、海の中の線路と、それにむけて陸地から突き出すいく筋もの通路が見て取れます。その写真も残っていました。

  

海の上の鉄路。小林清親の絵のように、早朝や夕暮れ時などは海の反射とあいまって実に幻想的だったことでしょう。

錦絵に描かれた築堤の石の素材感は、本物どおりに写し取っていることがまざまざとわかります。また、築堤の下には船が通れるように水路を開けてありますが、これもその通りに出土しています。

「高輪築堤」について、いろいろ調べてここに書こうと思っていましたら、歴史や意義を含めてしっかりまとまった記事に出会ったので下手の上塗りはせず、そちらにリンクさせていただきます。

ダイヤモンド・オンライン 記事   https://diamond.jp/articles/-/262641

 

 

海の上の鉄路。こういうことには、ならなかったのか。気になります。

(「高輪築堤」は、港区三田三丁目および高輪二丁目に所在)

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たけぞーです。建築好き、写真好きです。
このブログも、両方の要素がクロスすればいいな、と立ち上げました。
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現在はビル設備管理の仕事をしつつ、家族が営む不動産事業をサポートしています。

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