葛飾・柴又です。
映画「男はつらいよ」シリーズの第50作目、「おかえり寅さん」が封切られました。その少し前にも、寅さんの生まれと育ちを描いたテレビドラマ「少年寅次郎」が放映されました。
寅さんといえば、ほぼ必ず目に触れる舞台として「経栄山題経寺」があります。柴又帝釈天ですね。普通はこのあたりが写されます。
御前様(笠智衆)が堂上を歩かれ、庭男の源公(佐藤蛾次郎)が帝釈堂や本堂前を箒で掃いている・・・スクリーンに映る「書割り」舞台に慣らされてしまい、うかつにも、その「裏側」を長い間知りませんでした。知らなかった人に伝えたくて(笑)ご紹介したいと思います。
まず驚くべき一つ目は、帝釈堂の「裏側」の彫刻群。上にも、下にも、右にも。左にも。もりあがり、のたうち、ながれ、まじわり、よじれ、しずみこみ、はじけ、とびだし、たなびく・・・。圧巻です。
まさか小ぶりな(とも思える)お堂の裏側にこのようなものがあるとは。
昭和の初めごろ東京在住の名人彫刻師による「法華経」説話の競作で、畳の大きさの分厚い欅の板が精緻に、大胆に彫り込まれています。その沿革は、柴又帝釈天さん自身のホームページでご覧ください。 ⇒ http://www.taishakuten.or.jp/index2.html
そして驚くべきもう一つが「裏庭」です。いや裏庭というレベルではありません。正式には池泉式庭園の「邃渓園(すいけいえん)」。高名な永井楽山という造園家が、戦前から手掛け昭和40年に完成させたとのこと。
「回廊」に歩みを進めると、樹々の高低・配置・枝葉、光、影、水辺、石組みなどが次々に交錯し、数歩ごとにその印象を変え、奥深い、立体的な絵巻物が紐解かれていくようです。
これで、源公が、本堂前を掃くだけが仕事ではなかったことがわかります。こんなに立派な庭園を維持するには「庭男」としての原公のお仕事も苦労が多かったんだろうな、ほんとうは寅さんとじゃれ合ってる時間など、無かったんだろうな(笑)、と。
本堂。帝釈堂の「裏側」の彫刻群。大客殿。そして回遊式庭園・・・。ここ帝釈天には江戸時代末期から昭和にかけての「寺院建築博物館」と言ってもいいかも知れません。名大工、名彫刻師、名庭師の技の粋が詰まっています。