建築 ✕ 写真 街歩きの愉しみ

写真
 
建築好き、写真好きの私は、両方の要素がクロスすればと、2年前にこのブログを立ち上げました。
ちょうどそのころ開催された「建築×写真 ここのみに在る光」(東京都写真美術館)という写真展は印象深いものでした。
最近は写真展でもデジタルで撮影、インクジェット出力が主流になっていますが、この写真展は銀塩写真、つまりフィルムで撮り、現像し、印画紙に焼き付けるというプロセスのものが中心です。
写真展に行くと、私の眼は作品から20cmの距離に近づき、高精細スキャナーのように一枚一枚の写真を舐めるように見ていくため、たいてい監視員が心配そうに近づいてきます(笑)
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フェリーチェ・ベアトはイタリア生まれの報道写真家。江戸時代末期の1860年代から日本を精力的に撮影。

ベアトは、侍、町人など人物も多く撮っていますが、当時の写真機ではスナップ撮影はできず、やはりじっくり撮れる建物、風景の写真が秀逸です。そのもっとも有名な写真は、芝・愛宕山(現:地下鉄神谷町近く)から東、海の方角に広がる江戸の街。

この辺りは武家屋敷が多く統一感のある美しい街並み。江戸の町は、大火から甦るごとに瓦と漆喰で固められ、モノトーンの家並が広がっていったのです。正面の大名屋敷は長岡藩中屋敷。拡大してみると、瓦や羽目板の一枚一枚、連子窓の桟の一本一本、物干し台まで見て取れます。

画面中央やや右の尖った高い樹は田村右京大夫邸内の「お化け銀杏」(まさにこの樹の根元で浅野内匠頭が切腹しました)。そのすぐ左向こうが現在の新橋駅になります。

次の2枚は江戸の街を歩きまわったベアトが別の場所で撮った一枚の写真。平面的な地図とは違い、まわりが様変わりしても、坂のカーブ・高低感はそのまま重なりあっています。江戸時代に生きたわけではないのに、あの侍たちも登ったであろう坂の勾配を体で感じ、懐かしさのような共感を覚えます。

 港区三田の綱坂

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生涯の半ばから職業写真家として身を立て、パリの街を、1900年を中心とする約20年にわたって撮り歩いた、ウジェーヌ・アジェ。

彼自身が書いた。写真売り込みの手紙が残っています。「古い館、歴史的あるいは興味深い家々、優雅なファサード、ドアノッカー、古い噴水、木や鉄製の階段、パリすべての教会のインテリア(全景と芸術的に美しいディテール)などを含みます。(中略)すべての古きパリが、私の手の中にあります。」エッフェル塔が建つなど新たな時代へ変化するパリには見向きもせず、古いパリの街角を撮り続けました。時間を停め記録するという写真の本質に気づいていたからでしょう。

 アジェの作品はこちら ⇒ https://www.moma.org/artists/229?=undefined&page=&direction= (MoMA:ニューヨーク近代美術館)

ベアトが撮った江戸の街は、維新、震災、戦災を経て様変わりしましたが、アジェの撮ったパリの建物は100年経ってもまったくそのまま、そこにあります。アジェが古きパリを撮っておいてくれたからこそ、私たちは今のパリを楽しむことができます。

 
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原直久によってイタリアの村が撮影された1980年代は、デジタル写真前夜で、アナログ機材とフィルムが最高度の進化を迎えた時代と言えます。低感度のフィルムを選び、絞りを絞り、長時間露出をかけたのでしょう、非常に高い画面精細を誇っています。遠く俯瞰して撮られた村全体の中の、家一軒、窓一つ、煉瓦の一個、蔓草を這わせる紐の一本まで、見事に印画紙上に再現されています。村人の暮らしかたへの想像が広がり、人は一人も写っていないのに、ひどく人間臭さを感じさせる写真となっています。
 
建築物は物体であっても、人の手に成り、人が暮らすが故に、細部の再現を試みる写真家の意思と腕次第で、人そのもののポートレート以上に人を感じさせるものです。この写真展の眼目は建築物ではなく、実はそこにあると感じました。
私も、「街」「人」「建物」「暮らし」の交錯を追いかけながら、街歩きと撮影を続けたいと思っています。
写真建物散歩建築

たけぞーです。建築好き、写真好きです。
このブログも、両方の要素がクロスすればいいな、と立ち上げました。
たけぞー(takezo)が街を歩きまわるから"take-a-walk"なのです。
現在はビル設備管理の仕事をしつつ、家族が営む不動産事業をサポートしています。

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